杉並聖真ルーテル教会

マルチン・ルターの宗教改革の流れを受け継ぐプロテスタントのキリスト教会です。

牧師不在の礼拝式について

牧師は、4月より飯能ルーテル教会の責任教職を兼ねており、奇数月の第2日曜日に飯能教会で司式・説教を行います。そのため、当日の杉並教会の礼拝式は、信徒のみで守ります。

7月13日(予定)、9月14日(予定)

三位一体主日

6月15日は、三位一体の神の祝日です。ともにほめたたえましょう。

(Matthias Roth) EG 138 Gott der Vater steh uns bei (130 父なる神よ)

今週の背景画は、エル・グレコ(ドメニコス・テオトコプロス)の『聖三位一体』です。

聖霊、別の弁護者

8フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 9イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 12はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 13わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 14わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

イエスさまが《今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている》(7)と言ったことに驚いて、フィリポがこう願った。《主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば、満足できます》(8)。フィリポは父を見るということを、何か直接的な霊的体験と考えていたようです。このような期待と欲求は人間の本性とも言えます。イエスさまは《わたしを見た者は父を見たのだ》(9)と答えます。神が御自身を人間に見せるために行った業は、御自身の子を地上に遣わすことでした。イエスさまこそ父を現すために世に遣わされた御子である、これがヨハネ福音書の使信です。

弟子たちは選ばれてイエスさまと一緒にいることを許され、長い間イエスさまを身近に見てきました。ですから、イエスさまの内に父が働き、イエスさまを通して父が語っていることが当然分かるはずですが、そうではなかったのです。

肉眼で地上のイエスさまを見るとき、イエスさまの人間としての面だけが見えて、父と一つであるイエスさまの霊的本質が見えなくなるのです。

「わたしを見た者は父を見たのだ」というときの「わたし」は、ヨハネ福音書においてはいつも、復活の主であるイエスさまを指しています。そして、当時の弟子たちも現在のわたしたちも、聖霊の働きによって復活の主と出会います。その時はじめて、わたしたちは十字架につけられ復活の主の中に、罪人を赦し死人を生かす恵みの父を見るのです。弟子たちも、地上のイエスさまと一緒にいる間は、このように「父を見る」ことはできませんでした。彼らも、聖霊によって復活の主を見てはじめて、地上にいる時のイエスさまの言動の真相を理解できるようになったのです。わたしたちの信仰の根拠は、聖霊の働きによる復活の主との出会いと交わりにあり、その体験の中で「父を見る」ことにあります。

つまり、復活の主を見て、その内に父を見る者と見られない者の違いは、信仰です。フィリポのように「父を見せてください」と求める者に対しては、「信じる」ことを求める他はありません。フィリポの求めに対するイエスさまの答えはこうです。《わたしが父の内におり、父がわたしの内にいてくださることを信じないのか。わたしがあなたたちに語っている言葉は、自分から語っているのではない。父がわたしの内にいまして、御自身のわざをなしておられるのだ。わたしは父の内におり、父がわたしの内にいますと、わたしが言うのを信じなさい。そうでなければ、わざそのものによって信じなさい》(10-11)。

イエスさまが父の内にいて、父がイエスさまの内にいて、イエスさまを通して語り働いていることこそを、ヨハネ福音書は世に宣べ伝えているのです。父を見ることを求める世に向かって、ヨハネ教会は「わたしが言うのを信じなさい」と、この使信を信じるように求めます。

そして、このように宣べ伝える言葉を信じることができないのであれば、イエスさまが行う業、すなわちこの福音書が伝える多くの「力ある業」のゆえに、イエスさまと父とが一つであることを信じるようにと促すのです。

イエスさまは続いて、こう約束の言葉を告げます。《はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである》(12)。

「わたしを信じる者」は、「わたしが行う業を行うようになる」と約束します。イエスさまが地上で行った業を行うとは、病人を癒し、悪霊を追い出すという働きだけでなく、貧しい者に恵みを告知するという福音の働き全般です。イエスさまの弟子は、イエスさまが地上で行った働きを継承することが約束され、また期待されるのです。これはヨハネ福音書における「派遣説教」です。

しかも、「もっと大きな業を行うようになる」と約束します。力ある業(奇跡)という面では、死者を生き返らせたイエスさまの業よりも大きな業は考えられません。しかし、神の福音を告げ知らせるという働きでは、パレスチナの中だけで行われたイエスさまの働き以上に大きな働きが、弟子たちの手によって全世界に及ぶようになることが予告されます。「わたしが父のもとへ行くから」こそ、復活の主の働きは、地上的な限界を超えて大きく拡がるのです。

地上のイエスさまは、父がイエスさまの内にいてその業を行っていました(11)。しかし、イエスさまが復活して父のもとに行かれた今では、イエスさまと父が重なって、父が行うことはイエスさまが行うことになることが、次のように語られます。

《わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになる(ためである)。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう》(13-14)。「わたしの名によって願う」とは、復活の主を信じ、イエスさまの名代としてその働きを受け継ぐ者が祈り求めることです。そのように祈り求められたことは、復活の主御自身がかなえるという約束です。「父が子によって栄光をお受けになる」のは、子であるイエスの名によって人を救う働きが行われるとき、そこに父の栄光が現れることを指しています。

世を去ろうとするイエスさまは、後に残される弟子たちに、心を騒がせることなく、イエスさまを信じて、イエスさまの業を継承していくように励ましたのです。

《あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る》(15)。イエスさまを愛するとは、イエスさまを復活のキリストと信じて告白し、全身全霊をもってこのイエスさまに自分を委ね、このイエスさまと結ばれて生きることです。

イエスさまを愛するならば、その愛の表現として必然的に愛する方の言いつけを守ることになります。そして、イエスさまを愛する者が守る「わたしの掟」とは、先にイエスさまが弟子たち与えた「新しい掟」を指しています。すなわち、《わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい》(13章34)という掟です。イエスさまの愛と同質の愛をもって互いに愛し合うことだけが、イエスさまの弟子である標識となるのです。

《わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる》(16)。父のもとに行ったイエスさまが父に願い、父は「別の弁護者」を派遣してくださいます。弟子たちの弁護者であるイエスさまが、自分が去った後に、自分に代わって弟子たちと「一緒にいて」、自分がしたように教え導き助ける方を弟子たちに送るのです。

《この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである》(17)。

ここでは「真理の霊」とありますが、「別の弁護者」が聖霊であることが、明らかにされました。「真理の霊」とは、それを受ける者を「真理」に導き入れる霊(16章13)という意味です。この「別の弁護者」がどのような働きで真理に導き入れてくださるのかは後で語られます(16章12-15)。

イエスさまを拒んでいる「世」は、どのような修行や努力をしても、この霊を受けることはできません。この霊は、《父がわたし(イエス)の名によってお遣わしになる聖霊》(26)だからです。聖霊は、わたしたち一人ひとりの中に住まい、わたしたちを教え、導き、助け、癒し、信仰と愛と希望に生かしてくださるのです。

祈りましょう。天の父なる神さま。御子は私たちを救う務めを成し遂げて御許に戻りましたが、あなたは代わりに聖霊を送って、私たちを助け導いてくださいます。共に礼拝に集う私たちの心を開き、燃やし、御心に従って歩む者としてください。救い主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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