杉並聖真ルーテル教会

マルチン・ルターの宗教改革の流れを受け継ぐプロテスタントのキリスト教会です。

読書会について

主日礼拝の後、30分程度の読書会を会員主導で行っています。課題図書は三浦綾子氏の『新約聖書入門』です。

牧師不在の礼拝式について

杉並聖真ルーテル教会の責任教職(牧師)は、本年度も飯能ルーテル教会の責任教職を兼務します。奇数月の第2日曜日に飯能教会に出張するため、当日の杉並教会の礼拝式は信徒のみで守ります。

次回予定: 7月12日

夕礼拝について

毎月第3木曜日に夕礼拝を行っています。開式時刻は19時です。日課は『ガラテヤの信徒への手紙』から要所を選んでいます。

次回予定: 7月16日

覚悟と慰めの狭間で

24弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 25弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。26人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。 28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」32「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。

34わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 35わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。36こうして、自分の家族の者が敵となる。37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

1. はじめに

きょうの福音は、イエスさまが弟子たちを宣教へと送り出す、いわゆる「派遣説教」の核心部分です。ここには、現代の私たちをもたじろがせるような、厳しく激しい言葉が並んでいます。しかし同時に、そこには深い慰めと、私たちが生きるべき指針が示されています。一歩ずつ、その意味を解き明かしていきましょう。

2. 師と同じ苦難を歩む覚悟

まずイエスさまは、弟子たちの身にこれから起こる現実を、冷徹に、しかし愛を持って告げます。《家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう》(25)。

イエスさまご自身が「ベルゼブル(=悪霊の頭, 9章34)」と罵られ、迫害されたのです。ならば、その弟子である私たちがこの世で歓迎され、何の苦労もなく生きられるはずがありません。キリスト者は、キリストと同じ道を歩む者です。

マルティン・ルターは、その著書『十字架の神学』の中で、こう述べています。「キリスト者はキリストの受難に参与する者である。栄光だけを求め、苦難を避ける者は、キリストの真の弟子ではない」。私たちはまず、この世からの反発を恐れない覚悟を求められているのです。

3. 恐るべきは誰か:隠されたものの顕現

続いてイエスさまは、「恐れるな」と三度も繰り返します(26, 28, 31)。

《覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。》(26)。

この世の権力や迫害者がどれほど真実を覆い隠そうとも、神の光の前にはすべてが白日の下にさらされます。私たちが語るべきは、密室の教えではなく、すべての人の頭上で叫ばれるべき福音です。

《体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい》(28)。

私たちが本当に畏れるべきは、地上の最高権力者ではなく、永遠の命を支配される神ひとりです。そして、その厳格な神は、同時に徹底的な愛の神でもあります。ルターは『大信仰問答』などで、「神を畏れるとは、神を恐怖することではなく、神の愛を信頼し、その御心から離れることを何よりも恐れることだ」と教えました。神への正しい畏れは、人間に対する一切の恐怖を消し去るのです。

4. 「知らない」と言われる恐怖:十人のおとめのたとえ

さて、次の段落を見てみましょう。《だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う》(32-33)。

ここでイエスさまが語る「知らないと言う」という言葉は、マタイ25章の「十人のおとめ」のたとえにある主人の言葉(25章12)を強く思い起こさせます。この二つの箇所は、内容的に深い関わりがあります。

10章の文脈では、迫害や誘惑に負けて「人々の前でイエスを否認すること」が問題になっています。一方、25章のおとめのたとえでは、花婿(イエス)の到来が遅れたときに、油(信仰の備え、愛の実践)を切らしてしまい、目を覚ましていなかった者たちが締め出されます。

この二つを結ぶ共通のテーマは「持続する信仰の告白」です。口先だけで「主よ、主よ」(7章21)と言うのではなく、人生の土壇場において、あるいは退屈で過酷な日常の最後まで、キリストとの結びつきを保ち続けているか、という問いです。日常の中で主を無視して生きることは、人々の前で主を「知らない」と言うことと同じなのです。

では、もし私たちについてイエスさまが父なる神の前で「わたしはあなたを知らない」と言ったとしたら、どういう結果になるのでしょうか。

聖書において、キリストは私たちの「弁護人(仲介者)」です。神の法廷において、罪深い私たちを「この者はわたしの血によって贖われた、わたしの友です」と執り成してくださるのがイエスさまです。

そのイエスさまから「知らない」と言われるということは、「仲介者の喪失」を意味します。それは、キリストの贖(あがな)いの恵みから自らを切り離し、自分の罪のすべての責任を、自分自身で負わなければならなくなるということです。それは「神の怒りと、永遠の絶望(地獄)に身を委ねること」(ルター)にほかなりません。これ以上の悲劇はありません。だからこそイエスさまは、私たちに厳しく警告しているのです。

5. 剣をもたらすイエスと、十字架の要求

さらに衝撃的な言葉が続きます。《わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ》(34)。

平和の君であるイエスさまが「剣をもたらす」とはどういうことでしょうか。これは、福音の本質がもたらす「決断の迫り」を意味します。光が来ると、闇との間に明確な境界線(剣)が引かれます。最も親しい家族の間であっても、神を第一とするか、人間を第一とするかという選択を迫られる瞬間があるのです。

《わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない》(37-38)。

ここで、大きな疑問が湧くかもしれません。「イエスさまがすでに私たちの罪を十字架で贖ってくださったのに、なぜなお、私たちが『自分の十字架』を担う必要があるのか」ということです。

この疑問に対して、ルターは非常に明確な区別をしています。

キリストの十字架は、私たちの罪を「贖う(救う)」ための、唯一無二の十字架です。これに私たちが付け足すものは何もありません。

キリスト者の十字架は、救われた者が、キリストに従うプロセスで経験する「古い自己の死」と「この世からの苦難」のことです。

私たちが担う十字架は、自分を救うためのものではありません。イエスさまによって「すでに救われたからこそ、その愛に応えて、イエスさまと同じ歩み(自己犠牲と隣人愛)をするために引き受ける苦難」なのです。自分のエゴ(自己中心性)を十字架につけ、主のために命を捨てる者こそが、本当の命(永遠の命)を得るのだと、イエスは39節で締めくくられます。

6. おわりに

マタイによる福音書10章は、私たちに「安価な恵み」を許しません。キリストに従うことには、時に家族との葛藤があり、自分の十字架を担う苦痛があり、人々の前で信仰を表明するリスクが伴います。しかし、その歩みは孤独ではありません。私たちの髪の毛まで数える神の深い愛が背後にあります。厳しい言葉の奥にある、この上ない神の慈しみを信頼し、今日からまた、それぞれの十字架を愛の糧として担い直していきましょう。

祈りましょう。天の父なる神さま。御子イエスさまは苦しみをもいとわぬ深い憐れみを通して、私たちの救いへの道を切り開いてくださいました。イエスさまの御足の跡を歩もうとする私たちに足りない素直さと賢明さをお与えください。救い主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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